当院について
象先堂は、江戸時代、1833年に
伊東玄朴が開設しました。
受け継がれる信念とともに
信頼できる医療を提供します。
近代医学の祖 伊東玄朴
伊東玄朴肖像
(伊東栄『伊東玄朴伝』玄文社より)
東京大学医学部附属病院正面
(東京大学医学部眼科学教室百年史より)
象先堂の扁額
1823年
鳴滝塾でシーボルトに最新の西洋医学とオランダ語を学ぶ。
1833年
下谷御徒町に医院で蘭学塾である象先堂を開設。
1843年
『医療正始』のオランダ語訳版の翻訳をすすめ、24巻を刊行。
1858年
神田お玉が池ー現東京千代田区岩本町二丁目に種痘所を開設。(東京大学医学部創立日)
天然痘予防に対する種痘(牛痘種法)を全国に普及。
徳川幕府の蘭方医初の奥医師に任命され、将軍徳川家定の侍医(大典医)となる。
1861年
医師の身分で最高位の法印に叙せられる。
お玉が池種痘所を西洋医学所と称す(現東京大学医学部)。
眼科と象先堂の来歴
伊東方成がもたらした眼球模型(東京大学医学部眼科学教室百年史より)
伊東方成
(東京大学医学部眼科学教室百年史より)
伊東玄朴
日本で初めて化学製品による全身麻酔を製造、手術を行う。(クロロホルムを用いて右足切断術)
薬品製造所も作り、眼科と外科の発展に貢献。
伊東寛斎
徳川幕府奥医師、西洋医学所教授を経て侍医(大典医)となる
伊東方成
東京大学医学部、日本における眼科最初の留学生としてオランダ留学後、大典医として明治天皇らに仕える。
日本人としてはじめて試視力表を作成し、1863年にフランスで作成された眼球模型を購入して帰国する(東京大学医学部に保存)。
第一回日本医学会を発起。
田村茂美
九州帝国大学医学部眼科第三代教授、名誉教授
田村茂秉
(野中茂秉)
東京帝国大学卒業
初代長野県眼科医会会長
田村茂博
昭和45年、田村眼科医院開設
平成3年、医療法人とする
田村茂道
伊東玄朴から六代目子孫
田村眼科医院院長
出典
佐賀医学史研究会, 佐賀偉人伝 佐賀の先人たちから未来への贈り物, 2017
涌田佑, 伊東方成 蘭方医・明治天皇侍医, 2021
増田寛次郎, 東京大学医学部眼科学教室百年史, 1989